白群の徒然なるままに

105回薬剤師国家試験合格に向けて勉強するブログです。息抜きと称して趣味の漫画、小説、アニメ、ゲームについて書いたりもします。Twitter(@byakugun_Study)もよろしくお願いします。

卒延して105回薬剤師国家試験を受けるまでの1年

タイトルの通り、卒留して105回を受けれなかった人たちへ、卒延し104回を受けれず半期遅れて9月卒業、105回を受けた私のここ1年の覚え書きを残しておきます。

何がよかったのかわからないためにこうしたらいいよ、といった話はできません。ただこうして残しておくことで一例なので役に立つかはわかりませんが何かの役に立つかもしれない可能性にかけて書き残します。

 

1月

卒延が決まったのは去年の1月、統一Ⅲが終わった直後でした。卒試の再試の結果はもう出ていたのですが統一Ⅲ終了まで教えてくれることは無く…。自分の今までの成績を考えると受かってるとも思えず卒延が決まったのを『やっぱりな』といった感情で見た覚えがあります。

自己防衛機構が働いたのか仲が良かった友人も卒延が決まったからなのか変なテンションで帰った気がします、覚えていないんですけど。

あとこの頃はずっと夢を見ている気分で、留年を経験した友人にそのことを言うと

『留年決まった時にそんな感覚になった』

と教えてもらったのでショックを和らげるための心のクッションかなと思いました。

 

卒延が決まると国試が受けられませんから外部講義も受ける必要はないのですが定期券の期限がまだ切れていなかったこと、家にいても勉強しないとわかっていたことから予備校の直前講習は一応全部受けました。これは研究室の先生に聞いて出席してもいいと確認が取れたので全部出ました。直前講習の内容は半分も理解出来てなかったのですが。

卒延しなくても国試には受からないとわかっていたのですが挑戦するチャンスさえ無いことが1番ショックだった気がします。受験料も支払って、できないなりに1年頑張ってきたのに卒業試験に受からなかったばっかりに1回分のチャンスを棒に振ったことは今でも悔しいです。

 

2月(〜3月)

直前講習が終わった後は大学にいても国試受験する組の邪魔になるし、お互いに気を使うのも嫌で大学には必要最低限しか行きませんでした。その代わり就活を始めました。

合説行ったり情報収集をすることで国試終了後も採用試験をしている企業などがわかるのでこれはやってよかったと思っています。私が希望するところは国試終了後は採用試験をやっていなかったので卒延、浪人と就活を同時並行することが決まりました。

 

就活と同時期に予備校に関する情報を集め始めました。これは国試終了後でないと最新の情報はわからないものの1年で、半年でどれぐらいの金額がかかるのかを計算、大学の半期分の学費を含め親と相談を始めました。本音を言うとここが1番精神にきました。ずっと胃が痛かったです。6年学生させてもらってその上1年延期って…。

自分でRECと薬ゼミの二択まで絞って親と相談して卒延生でも可能なら5月コースに通わせてもらえることになりました。ここは104回の国試終了後に薬ゼミに相談して、無事に通えることが決まりました。薬ゼミにした理由は色々あったのですが決め手として1番大きかったのは先生方が知っている人たちだったことです。

 

そんなこんなで104回の国試終了、国試受験組の友人たちと話しをしつつ、研究室の荷物を整理、3月末まで短期でバイトをしながらチラチラ勉強をしていました。

104回対策のプリント類は捨てれず結局105回合格発表まで捨てれませんでした。青本は104回の時の物を持っていましたが105回の青本を買いました。

 

3月

薬ゼミの教室説明会を聞きに行って卒延でも大丈夫なのか相談、また4月からの流れを頭に入れて申込書をゲット、5月コースに無事申込ました。

またこの時期は短期バイトと就活と家の中の整理をしていました。実家暮らしだったので6年分の荷物整理です。

この時期は自分より友人が合格したかどうかがひたすら気になっていました。もう来年受けることはすんなり納得いっていました。後から聞くとたぶん親の方が引きずっていたと思います。バイト代で友人と遊んだり1人で遊んだりしてましたがこれ結構大事だったかも。この時に友人に色々話せたのが後々のメンタル保持に関わっていました。

友人達も無事に合格したりもう1年が決まったりしていく中で私の卒延生としての半年、浪人生としての1年が始まりました。

 

4月

大学の授業がスタート、これは定期的に1日の中に突っ込まれるため薬ゼミの授業は受けれないのですが仕方ないです。また薬ゼミの5月コースが始まる前の基礎固め講座?みたいなのが3週間ほどあったので受講。この時点で結構体力が持っていかれました。

大学の授業は先生達が自由に授業をやっているため適当に受けていました。これが卒試に出るかと言うとでないんだよなぁ…という心境。

4月からはさすがにバイトはやめました。友人は国試まで結局やめずに月1〜4とかの頻度でやってて体力化け物かよと思ってたりなかったり。

スタートアップ模試を受けたところ(大学で強制的に受けさせられた)薬ゼミでやった範囲がめちゃくちゃ出て高得点を叩き出し、同じ薬ゼミに通っていた友人と爆笑してました。

ここから1年(もないけど)が正念場だ!と思いつつ薬ゼミ生活スタート。ここら辺はまだ遊びに行く体力はありました。

 

5月

5月コースが本格的にスタート。月曜日から金曜日までが薬ゼミの授業。そして土曜日か日曜日のどちらかで大学の授業で抜けた分の薬ゼミの授業を取り返す。そんな毎日が開始しました。

確認テスト(毎日のテスト)と週テスト(毎週月曜日のテスト)と薬ゼミの復習に追われる日々。ブログ書く暇どころか家に帰ってきたらバタンキュー状態。体力が持ちませんがそんなこと言ってられません。ひたすらついていかないと置いていかれるので頑張りました。

青本講座はひたすら基礎事項からのおさらいなのですがまぁわからない、わからない。よくこんなわからない状態で国試受けようと思ったな、状態です。しかしこれ幸いとひたすら頭に詰め込んでいきました。

今から考えると5月はゴールデンウィークあったから授業数が少ないのでまだ生きていたのかも。しかしこれは序の口、薬ゼミ生活のやばさは次の月から始まったのです。

 

6月

ようやく毎日、毎週のルーチンが決まり身体が慣れてきた頃にやってくる月テスト(毎月のテスト)。範囲広いし体力無いし毎日でいっぱいいっぱいのところにやってくるため死にそうになります。

そしてこの月テストが月曜日に入ることで土曜日にも授業が入り日曜日は大学の授業で抜けた分を入れると休みが無くなります。月テストの成績が悪いと補講みたいなものがあるためこれでまた休みが消えます。就活もある、土曜日の授業もある、大学での小テストもある、体力がいくらあっても足りない。ここら辺からやばい状態に。ぶっちゃけ記憶がない。

 

7月

相変わらず就活と大学の授業のせいで休みがありませんが卒業試験がやってきます。自信は全くありません!しかし薬ゼミで2ヶ月基礎をやり、あとはひたすら過去問をやってきました。たぶん自力で勉強してたらもっとできなかった、そう考えるとこれがベストだったんだと言い聞かせて卒業試験を受けました。受けた感覚は受かった感じはしませんでしたが半年前よりは解けました。

あとはまたひたすら薬ゼミに通う生活、そんなことをしていると大学から連絡が。大学に行くと卒業試験合格との発表!よかった、これで大学には行かなくてよくなった、それしか感想がありませんでした。なおギリギリセーフだったようです。受かれば問題無い。

この月は就活だの大学だの、補講だので結局休みはありませんでした。ここでの無茶が響いたのか40℃近い高熱を出し3日休みました。土日を挟んだため5日ぐらい動けず、これは痛かったです。特に苦手な範囲の青本講座をちょうど休んでしまったのが後々まで響きました。あとこの風邪で咳喘息を発症、しばらく病院に通うことに…。

 

8月

大学からは無事に解放され薬ゼミの授業1本に集中できるようになりました。しかしここで薄々感じていたことが実感を持ちます。

『私、薬ゼミでの成績、下の方だな』

確認テストも週テストも月テストも平均あったらいい方、できない日は下から数えた方が早いんです。でもまあいいや、とりあえず焦らずやろうと能天気な私はここで焦りもせず勉強方法も変えずやっていました。毎月のアドバイザーの先生との面談でも苦手科目どうしようか、という話を毎回していた覚えがあります。

お盆に束の間の休憩、ここで勉強をしないとやばいのはわかっていましたができずひたすら寝る日々。

お盆明けに白本という問題集のテストがあったのですがこれもまた下から数えた方が早い点数、そして補講対象になります。ここから挽回することもなく全体的に点数悪かったです。

就活は8月の面接が最後で、全て終了。この時点で内定はもらっていたので本命とはいえ結構気楽に受けれました。就活で授業が抜けることはここで終わりました。

 

9月

薬ゼミでの初めての模試、統一Ⅰがありました。解けた気はせず身内にこれは絶対200点無い!と叫んでいたのですが213点(たぶん)とアドバイザーの先生と目標としていた225点には届かなかったものの、個人的に目標としていた200点には到達できました。ちゃんと薬ゼミ5月コース平均もギリギリ越えており、月テストのあのボロボロっぷりはなんだったのかと思いました。カラクリとしては必須と理論の点数がそこまで高くなく実践(100↑/150点)で稼いだ感じでした。

アドバイザーの先生に

『実践はこの調子でいけばいいけど問題との相性があるから必須で点数を伸ばそう』

と言われました。確か足切りにかからないギリギリだったかと思います。

この時期から

『寝たくない、寝たら次の日が来る』

『なんで寝たら次の日になってるの?』

とわけのわからない発言をしていました(友人へのLINEで確認)

あと振り返ってみても9月あたりから記憶がないです。ただ卒延仲間や国試浪人した友人が数人、同じ教室の9月コースに通い始めたため放課後にちょっと情報交換も兼ねて話すようになりました。

確か9月頃から白本講座も開始され苦手だった薬理、生物、動態辺りがほんとにわからなくなっていました。

9月は卒延生も含む9月卒業の卒業式がありましたが模試の日と被ったために欠席しました。『模試があるからー』と研究室の先生には言いましたが大学にわざわざ行くのがめんどくさかったのもある…。

 

10月

白本講座にも慣れてきましたが相変わらず心は死にかけ、体力もない、そんな中でなぜか趣味のことを時間を割いてやっていました。半ば意地です。

授業は苦手科目や苦手範囲は相変わらず問題が理解できず解説を聞いてようやく理解していました。ただわからないなりに質問したり復習したりしてました。10月下旬には統一Ⅱに向けて教室の取り組みとして薬理と治療の問題集(確認テストの正答率が悪い問題の詰め合わせだった気がする)をもらったので薬理はそれをひたすら解いていました。これが結構役に立ち、統一Ⅱは薬理の点数が少し(自分としては)上がりました。治療は安定して点数が取れていたので解いていません。

 

11月

白本講座と並行して強制自習、統一Ⅱへの勉強を進めていました。ここら辺からはほんとに体力切れで通学のための往復2時間と薬ゼミでの授業時間、強制自習の時間ぐらいしか勉強できていませんでした。たまの休みは死んだように寝てた…。たまに体力が戻ると統一Ⅰで平均点もなかった動態、薬理、衛生の勉強をしてました。

統一Ⅱは体感では難しく自己採点は212点ぐらいだったかと…。これも目標は225点だったので全然取れず、しかも統一Ⅰより落ちたと落ち込みました。ただアドバイザーの先生に

『難易度から考えると統一Ⅰと同じぐらいなら点数は上がっているから!』

と励ましてもらい、気を取り直して復習しました。結果が返ってきたときに実は5点ぐらい上がり実質217点ぐらいとびっくりしました。見直したところ自己採点ミス、マークミスではなくてよかったとホッとしつつも本番でやったらどうしようかとめちゃくちゃ怖かったです。

この時期は薬ゼミ内のテストがほぼ酷い点数ばっかりだったのですが何故か模試だけは平均点はちゃんとありました。今から考えても不思議…やはり実践が強かったです(100↑点/150点)

必須と理論は相変わらずでした。

 

12月

留年した友人と後輩達の卒業試験が近くなり薬ゼミに通っていた友人達と頭を振り絞って去年の卒試、卒延組の卒試の内容を頑張って思い出しつつ国試まであと何日という文字に怯えていました。ここら辺で強制自習が決まるテストがあったのですが当然のように強制自習が決まりました。このため1ヶ月ほど休みがなくなることが決まり、これは体調を崩す前に強制自習は休もう、と思いました。7月の高熱がトラウマになってます。結果的にはちゃんと全部行けました。

白本講座はなんとか解ける問題が増えていきました。薬理だけは相変わらずでしたが動態と生物の苦手意識がだいぶ消えていました。

年末年始のお休みはひたすら薬理を解いて、薬理に疲れたら他の科目をやるというルーチンでやっていました。

薬理は解くのに時間がかかる、解けない、わからない、調べる、などめちゃくちゃ時間がかかっていましたが他の科目は1科目10時間ぐらいかければ問題集は一周(A.B問題中心)終わっていました。

 

1月

年末年始、勉強したはずですが年明けテストも下から数えた方が早かった…。模試は点数が取れているものの薬ゼミ内のテストはもう諦めモードでした。最低1度はやっているはずの問題が解けない…。ここら辺で自信がなくなってきます。しかし去年よりちゃんと問題の意味が理解できていることに感動をしていました。去年の同じ時期は問題の意味さえ理解できていなかったので。

最後の模試、統一Ⅲは自分の立ち位置がわかるので頑張ろうと思っていました。強制自習のおかげで勉強時間も確保できたので疑問点は徹底的に叩き潰し、苦手な暗記を頑張って頭に入れていました。その結果、227点(たぶん)と225点を無事に超えることができ、きちんと全国平均もあったので少しだけホッとした覚えがあります。ただしこれも必須の点数が低く、理論と実践で点数を稼いでいました。

この時期からカウントダウンの数字が減っていくのが怖かったです。あと気がつけば数日経過しているということがザラにありました。

授業は直前講習となりまとめと山の範囲の話になりました。まとめを聞いていると自分の抜けている範囲がよくわかりました。この頃に国試会場に持っていく資料用にプリント、青本、去年の要点集(ずっと書き込みをしていたので便利だった)に書き込みをしていきました。

 

2月

直前講習とまとめ授業、やまかけ、出陣式とやり国試まであと数週間という中でまったくもって緊張感はありませんでした。不思議なぐらい緊張もせず国試用に取ったホテルと会場の周辺状況をチェックしていました。センター試験の前もこんな感じだったなーと思いつつ準備をしていました。心境は遠足前日の小学生…。

出陣式の次の日から数日は休みだったため休憩しつつ暗記系を叩き込みました。

直前期は化学は漢方以外は完全に捨て、ギリギリまで点数の伸びそうな薬理と実務と薬剤の3科目に絞り勉強をしていました。化学はやっても混乱するだけだったので…

 

国試本番

既卒生なのに国試初挑戦となり緊張しながら受けました。これがまた始まる前はど緊張してたのですが薬ゼミでテスト慣れしていたのか解き始めると集中してこれが国試本番だと気がつくのは集中が切れた時ぐらいでした。

それでも必須で心を折られ、理論1で心を折られ、理論2で若干回復して1日目終了。

『必須が難しかった』

『物理の1問目から実験器具出すなよ』

なんでことを言いつつホテルに戻りました。1日目の夜は自己採点はせずに次の日の勉強しつつ間違えた問題の答えを意図せず発見してしまい自信を無くしていきました。

2日目はまだ得意と思える実践でしたが物生化で時間ギリギリと心を折られつつもなんとか最後まで解けました。2日目終了後は友人とご飯を食べて軽く打ち上げをしつつ解散。恐怖の自己採点タイムでした。

必須が取れた自信がなく、友人がTwitterで見た必須が難しかったという情報も合わさり足切りに引っかかったのではないかという不安から自己採点したくありませんでした。たぶんここが2日間の中で1番緊張したと思います。そして無事に足切りには引っかかっていなかったために最後まで自己採点を終わらしました。この作業は帰りの電車の中でやってました。友人とLINEをしつつ吐きそうになりながらも225点は超えていたためホッと一息つけました。

 

以上が卒延が決まってから105回を受けるまでの流れでした。あやふやな部分や追加で思い出したことに関してはまた適宜追加していきたいと思います。ただただ書き殴っただけの覚え書きですがどなたかのお役に立てたらと思います。

 

白群 2020/03/30記載